宇治七名園と、産地としての宇治
宇治が茶どころになったのは、自然にそうなったわけではありません。政治的な後押しがありました。
明恵上人が選んだ土地
栄西が中国から茶を伝えたあと、栂ノ尾高山寺の明恵上人が栽培を始めました。
その明恵上人が、茶の生育に適した土地を求めて選んだのが宇治です。川霧が深く、気温や湿度の条件が茶に向いていました。
最初は「非茶」だった
当初の格付けでは、栂尾の茶が「本茶」とされ、宇治の茶は「非茶」の扱いでした。
当時、茶の産地を当てる「闘茶」という遊びがあり、栂尾の茶かそれ以外かを判別するものでした。宇治は「それ以外」の側だったわけです。
足利義満の庇護
変わったのは室町時代です。三代将軍・足利義満が宇治茶を特別に庇護しました。
1390年頃には、諸将に命じて宇治に茶園を開かせています。これが「宇治七名園」と呼ばれるものです。
幕府の後ろ盾を得たことで、宇治は天下一の茶どころとして知られるようになりました。
技術が集積した
産地としての地位が定まると、技術も集まります。
覆いをかけて日光を遮る覆下栽培は、宇治で発展しました。うま味成分のテアニンが日光でカテキンに変わるのを防ぎ、うま味の多い葉を作る方法です。
碾茶と玉露は、いずれもこの栽培法によります。
品種も生まれた
宇治を中心に、在来種から覆下栽培に向く品種が選抜されてきました。
さみどり、あさひ、ごこう、うじひかり、てんみょう、うじみどり。いずれも覆いをかけたときの「染まり」がよく、うま味を残せる性質を持ちます。
全国でもっとも広く栽培されている「やぶきた」は静岡生まれで、煎茶には優れていますが、葉が黄色みを帯びるため碾茶にはあまり向きません。
いまも続く風景
宇治では4月から5月にかけて、覆いによって茶樹の姿が見えなくなります。
800年以上前に明恵上人が選んだ土地で、いまも同じことが行われている。碾茶の生産地としての宇治は、この積み重ねの上にあります。
