抹茶の飲み方が日本に伝わった経緯
粉にした茶を飲む方法は、鎌倉時代の初めに中国から入ってきました。 宋から戻った栄西禅師が、当時中国で行われていた碾茶の製法と、粉にして飲む喫茶法を伝えました。 栄西はのちに『喫茶養生記』を著します。
Culture & History of Green Tea
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粉にした茶を飲む方法は、鎌倉時代の初めに中国から入ってきました。 宋から戻った栄西禅師が、当時中国で行われていた碾茶の製法と、粉にして飲む喫茶法を伝えました。 栄西はのちに『喫茶養生記』を著します。
抹茶に砂糖を混ぜた粉末が、日本の家庭に入ってきたのは昭和のことです。 抹茶をもっと手軽に飲んでほしいという発想から、宇治抹茶にグラニュー糖を合わせた粉末が作られました。
日本の茶には、性格の違ういくつかの層があります。 茶道で点てる抹茶です。作法があり、道具があり、季節や場に応じた設えがあります。 飲むこと自体より、その場を整えることに意味が置かれます。使われるのは無糖の抹茶で、
関西で「グリーンティー」と言えば、甘くて冷たい抹茶飲料を指すことが多くなります。他の地域では、必ずしもそうではありません。 昭和30〜40年代、京都や大阪の甘味処や茶舗が積極的に扱いました。
冷たく甘い飲み物として広まった経緯から、グリーンティーは夏と結びついてきました。 普及したのは昭和30〜40年代。家庭用冷蔵庫が広まった時期と重なります。 氷が手軽に使えるようになり、冷たい飲み物の需要が伸びました。
粉末のグリーンティーが家庭に入ったのは、昭和30〜40年代です。当時の暮らしと結びついています。 1950年代後半から、家庭用冷蔵庫が普及していきます。 氷が自分の家で作れる。これは当時としては新しい体験でした。
甘いグリーンティーが広まった場は、家庭より先に外食でした。 大阪・梅田の阪急百貨店の地下に、グリーンティースタンドが開かれたのが1962年です。 百貨店の地下は、当時の人にとって新しいものに触れる場所でした。
英語の green tea は緑茶全般を指す言葉です。甘さとは関係ありません。 そのため、日本で「グリーンティー」を手に取った海外の人が甘さに驚く、という場面が起こります。 日本国内では、
抹茶を手軽にするという発想は昔からありました。実現できるかどうかは、技術の問題でした。 宇治抹茶にグラニュー糖を合わせた粉末が、業界で初めて真空缶詰にして売り出されたのが1930年とされています。 真空にする意味は、
茶を扱う店にとって、加糖グリーンティーは特有の位置を占めてきました。 抹茶そのものは、飲み慣れていない人には敷居があります。茶筅が要り、苦みがあり、作法のイメージもついてまわります。 加糖グリーンティーなら、
抹茶は飲むだけのものではありません。菓子の材料としての歴史も長くあります。 茶道で抹茶と和菓子を合わせるのは、苦みと甘みを補い合わせる考え方によります。 濃い抹茶の前に甘い菓子を食べる。この組み合わせが、
急須で淹れる習慣は、少しずつ形を変えてきました。 かつては、茶葉を買って急須で淹れるのが当たり前でした。 来客には茶を出し、食事のあとにも茶を飲む。茶筒があり、急須があり、湯呑みがある。
宇治が茶どころになったのは、自然にそうなったわけではありません。政治的な後押しがありました。 栄西が中国から茶を伝えたあと、栂ノ尾高山寺の明恵上人が栽培を始めました。 その明恵上人が、
matcha という言葉は、海外でもそのまま通じるようになりました。ただし指しているものは、日本国内と少しずつ違ってきています。 海外のカフェで matcha latte を頼むと、砂糖が入っているのが標準です。